13
先へ先へと進むほどにますますと、暗さとそれから何かしら、周囲からの圧迫感が増すような。密閉された空間だからか、それとも。丁度ここいらを通過している、大地を流れる精気の気脈が、間近い聖処とつながっている余波だろうか。
“微妙に人工的な作りだよな。”
ここもまた、城の地下にあった聖なる泉と同様に、信仰に関わる遺跡だったのかも知れず。それほどにかなり古そうな地下窟の通廊は、少しずつの傾斜を刻んで下へ下へと下っており。明かりの咒を灯すのさえ、それへの集中を要する時間が勿体ないからと、やはり壁のところどころに灯された灯火と、ぼんやりと浮いて見える白狼の毛並みだけを導きに。駆けて駆けて、息が切れそうになるのも構わず、駆け続けたその先へ、
「あ…。」
やっと見えた人影がある。薄暗がりの中へ今にも没してしまいそうな、漆黒のマントの先。自分たちの追っていた背中だと気がつき、気が遠くなりかけていた意識も奮い立つ。
「進さんっ!」
セナが叫んだその途端、それが召喚の呪文であったかのように、わらわらと飛び出して来て、立ち塞がった人影が幾たりか。何としてでもの時間稼ぎをしたい、そのための布陣であるらしく。それへと、
「チッ。」
こちらもわざわざ真っ直ぐ向かってゆくように進路取りを定めて突っ込んだ葉柱が、
「吽っ!」
前方へと開いて翳した手のひら。そっちの側の手首をもう一方の手で掴みしめると、導師服の両方の袖口についていた鉱石が揃って光る。それでもって詠唱を省略した上で、体内の気脈を絞り込む“砲台”を設け、走りながらの継続集中で尖らせてあった強い念の波動を、一気に前方へと押し出せば。眸には見えぬ気弾が疾はしって、次々に振り上げられし凶刃が片っ端から弾き飛ばされ、役を果たさぬままに沈黙してしまう。だが、
「ここから先へはっ!」
「止まれっ!」
「行かせぬぞっ!」
相手にとっても、引くことあたわぬ正念場なのだろう。武装がその手から吹っ飛んでしまったからにはと、今度はそのまま四肢を大きく広げての立ち塞がりへと転じた人々へ、
「チッ!」
白狼が体当たりを敢行して飛びつけるのも、一度には1人か2人が限度。野生の迫力に怖じけるのは、甲高い悲鳴から察して女性であるらしく、
“…これじゃあ、どっちが無体を働いているやらだよな。”
ただただ一族としての団結にのみ、心の拠りどころをおいている人々なのだろうか。遠い昔、絶対的な御主だった陽白の一族から、諸共に滅びよと一方的な殺意を向けられ。そんな絶望から命からがら逃げ延びた先、新天地とした遠い大陸で、これまでの長い歳月、どのような日々を紡いだ人々だったのか。そこからも災害に追われてしまい、その始まりがこちらでは伝説からさえ削られているほどもの遠い次空の果てから還ってきた人々。年頃が妙に揃っているところから察して、進がそうであったと聞いてるように、子供たちだけの乗った脱出船のみが救い上げられたということだろか?
“まま、反省会は後だ後。”
今は一刻を争うからこその、緊急避難的対処“何でもあり”を発動中。次々にという頻度にて現れては行く手を塞ぎ、掴みかかって来る妨害の手勢らを。咒による吹き飛ばしや薙ぎ払いという、進路確保優先の払いのけと同時の“戦意喪失効果”も見込んだ、少々荒っぽいやり方で除きつつ、進軍を続ける葉柱とセナだったものの、
「がうっ!」
先鋒、露払い役の白狼が、自分へと振り下ろされた剣の切っ先を、こちらからも飛び上がって迎え撃ちつつ、牙にて弾き返したその先に、何と向こうの仲間内がいて、
「きゃあっ!」
何とも惨い、思わぬ形での同士討ちにまで至っているのが見て取れて。
“この人たちって…。”
先日のあの、城までの強襲を直接仕掛けて来たクチ、豪胆で凄腕の顔触れとは違い、戦う力まではない人たちなのではなかろうかと、セナがその胸をちくりと突々かれる。彼にしてみてもお初の戦闘であり、自分への敵意へ怯まないという覚悟は何とかあったろうが、相手への深慮はまた別物。その手で、その意志で、誰かを倒れるほどまで攻撃するなんてこと、日頃のちょっとした口喧嘩レベルでも勇んで試した覚えのない皇子なだけに。誰かを傷つける痛みに呑まれ、一旦萎縮してしまったら最後、その場でその身が凍ってしまい動けなくなってしまうかも。ついのこととて、小さな手で胸元を押さえてしまった、そんな皇子へ、
「フォロー、出来るか?」
「あ、はははは、はいっ!」
鋭い耳打ちが飛んで来て。それを把握するのに寸刻かかったセナが、声をかけて来た葉柱の横顔を振り仰ぐ。何かしらの咒を繰り出そうという彼であるらしいが、自身の力では足りないほどの、大きな咒を放とうというのだろうか?
「俺も教えたことだ、思い出しな。自分の体の中心に、縦の螺旋をイメージする集中。」
「はいっ。」
深い呼吸で自分の体内を巡る“体脈”というものを意識し、脳天から背骨に沿ってでも、つむった双眸の奥から胸を経て、臍の下の“丹田”というところへまででもいい、縦の螺旋というイメージを体内に持ち込み、それに添わせて念を練り上げる。上から下へ、下から上へ。鋭くも強靭な、槍のような念を、その循環によって形成する“集中”は、日々の修養の中でも何度かやってみたことがあり、
「…よし、それじゃあ。」
裡うちなる集中に入ったことで、周囲への注意が逸れたのを見計らってだろう。ひょいっと、いきなり小脇へ胴ごと抱え上げられたのには、さすがに一瞬ギョッとしたセナだったものの、
「集中を途切らすな。」
「あ…はは、はいっ!」
抱えたと同時、加速が上がって。自分よりもずんと足の速い葉柱さんだと判る。装束越しというほどにも間近になった温みから、
“…あ。”
彼もまた意志を鋭く尖らせての集中に入っているのが伝わってくる。さすがは手慣れていて、全力で駆けていることに邪魔されない、巧みに分離された意志がするするとまとまってゆくのをこちらも追えば、その集中への波が自分の体内を巡ってた螺旋の循環とスルリと重なったタイミングがあって。そうと察したその瞬間に、
「…フレイアっ!」
体の前方へ、左から右へとただ水平に。何もないところに見えないカーテンでもあったのを、腕での払いのけ1つにて横へ掻き分けたような。そんな仕草の一閃で、彼らの向かっていた前方に、赤々と放たれた光弾があって。
「ヒッ!」
本来、触れられるような塊ではないはずの炎が、葉柱の振って見せた腕の軌跡からそれは色濃く渦を巻いて飛び出し、行く手を阻まんと通路の先に立っていた、次の陣営へと襲い掛かったから。薄暗かった洞内は炎に照らし出されて壁を赤に染め、
「ぎゃあっ!」
「助けて…っ!」
装束に髪にと降りかかってそのまま燃え始める炎には、さしもの伏兵陣営も恐慌状態になってばたばたと駆け回るほどの取り乱しよう。そんな中を突っ切るようにし、白狼の全力にも引けを取らない脚力にて一気に駆け抜けた葉柱と、抱えられたままなセナであり、
「…大丈夫なんですか?」
いくら一刻を争う身でも、あれはあんまり惨い咒だったのではないかと。セナがそぉっと訊ねたところが、
「何でお前様にフォローを頼んだか、判っていないのだな。」
片腕だけにて抱えていたセナを、やっぱり“ひょいっ”という軽々とした仕草でもって、走りながら懐ろにまで引っ張りあげると、自分の胸板に伏せさせ、両腕で背中を支えてやっての子供抱き態勢。そうやって安定を良くしてから、長い直線コースのその先を睨みつつ。黒髪の導師様は、
「あれは幻覚だ。」
「………はい?」
人に何事かを無理から思い込ませる“暗示”が基本の、ただの幻覚だと。それはコトもなげに言い置いてしまわれた。
「でも…ボクにも炎が見えました。」
「ああ。俺にだって見えたさ。」
葉柱はくつくつと笑い、
「だが、カメには恐らく、せいぜい明かり代わりの火花くらいしか見えてはおらんかったはず。」
そういえば。いくら特別な生き物であれ、あれほどの炎を見たにしては一瞬たりとも立ち止まらなかったなんて…警戒しないにも程がありはしないだろうか。彼らの先を風のように疾走し続けている、白い弾丸のような狼を見やり、
「無論、咒詞を知っているだけで出来ることではなかったからこそ、お前様からのフォローが要った訳だがの。」
一括にて片付けようと効果範囲を広く取ったから、術者である自分らまでもが余波を浴び、その只中にいたような錯覚をしたほどもの、そりゃあ強い念を繰り出せての結果であり、
「もっと複雑なものを仕掛けたなら、本当に身を焼く灼熱をも与えられたがの。あれは詠唱もなしの至って初歩の幻咒だから、直接体を害すまでの威力はない。」
あやつらが闇の眷属だったなら話は別だが、そうでないなら。あの程度の陽咒に叩かれて、体が爛ただれたり逝ってしまったりはすまいよと。だから安心しなと言われて、ああそうかとセナもまた気がついた。あんまり戦い慣れてはいないと見えた、敵陣の伏兵たちが倒れる様に、セナの気持ちもまた深々と傷つけられるのを恐れての、一斉射撃のようなもの。まとめて一掃することで、ちくちく受ける負担を減らして下さったらしく、
「とはいえ、時間稼ぎの功を奏させちまったかな。」
何とか追いつけたと安堵した、見えていたはずの対象が。これをこそ見逃すものかと二人して睨み据えてた、マントを背負った進のひた走る後ろ姿が、暗がりの先から既に消えている。さぞや意気消沈するかと危ぶんだ葉柱だったが、豈あにはからんや。セナはかぶりを振って見せ、
「さっきと変わらぬ足音がしています。そんなにも距離を取られてはいません。」
自分の脚に合わせていただいていた追っ手側の速さが、抱えられたことでぐんと上がったせいだろう。伏兵に構ったことで生じたロスも、さしたる距離差にはならずに済んだらしく。
「すみませんがこのまま、抱えてって下さいませんか?」
負担なら置いてって先へとか、言い出しかねないくらいの毅然とした様子なのが、
“…へぇ〜?”
何とも頼もしいじゃんかと小さく唇の端を持ち上げた葉柱だったものの、
「それは構わんが、あのな?」
「はい?」
「次のフォローでは、もちっと加減を頼むな?」
「………あ、はい。」
その懐ろから見上げた黒髪の導師様の、ちょっぴりと下がった眉の端。気のせいでなければ…少しほど焦げて、長さが不揃いになっていたからね。幻覚でとどめるつもりがそれ以上の出力のが放射されかかったのを、慌てて出端を押さえて こと無きを得たらしく。調整し損ねた出端の暴走分をかぶってしまった彼であったらしい。
「さすがの俺でもちょこっとビビったから。」
「はい〜〜〜。/////////」
そいや、光の公主様ですもんね。戦闘なんて初体験で、加減なんて冗談抜きに知らない身。恐縮しきりのセナを抱えたまま、不敵そうな苦笑を噛みしめつつ。全速力にての疾走を続けた葉柱だったが、
「…んん?」
不意に…自分たちよりわずか先を駆けていた白狼が加速したのに気がついた。申し合わせることもなく、だが、追いつけたのかと同じ事へと想いが至ったそのまま、先を透かし見た二人だったが、
――― ぎゃいんっっ、と。
無理からその身をねじ切るほど拉ひしがれて放たれたような、あまりの惨さに総毛立つような、そんな悲鳴が聞こえて、それから。
「カメちゃんっ!」
その身が宙へと吹き飛ばされてこっちへ。強引に押し戻された彼の姿が見て取れて。大きな怪我でも負ったのかと、その姿を素早く隈なく見回したセナの元へ、彼の側でも急いで駆け戻って来たものの、怯んで逃げ帰って来たという気配はないのが頼もしい。不意を突かれて撥ね飛ばされたけれど、ならばこの御方だけは守るぞと。小さな主人を抱えた葉柱の足元まで戻って来、素早く身を返して進行方向へと向いて、鼻の上へ深いしわを刻み、
――― ううう〜〜〜っ、と。
低く唸って見せるその視線の先。壁の灯火がそこだけ途切れて闇溜まりになってた一角から、ぬっと起き上がるように姿を見せた人影があって。
「よくも、阿含の防壁を通過して来れたものよの。」
こちらの彼もまた、継袖長衣の道士服をまとった青年で、明かりが乏しい中ながら、
“…おや。”
気のせいでなければ、この旧窟の手前で蛭魔たちを手古摺らせていた青年と似てないかと、歩調を緩めた葉柱が目許を眇める。向こうの彼はほぐせば相当に長い髪をドレッドに結っていたが、こちらの彼はいかにも武道家らしくスキンヘッドにも近いほど短くしており、それがために印象がかなり異なるものの、
“覇気の色合いが似てもいるしな。”
年の近い兄弟ででもあるのかねと、そこまで掘り下げて感じ入ってた葉柱は。自分のすぐ手前へ一旦降ろして差し上げた、セナの頭を見下ろすと、
「…よし。」
何事か意を決したらしく。そんな気配をそちらでも感じて、肩越しにこちらを振り仰いで来た小さな公主様を、
「…え?」
ひょいと再び抱えてそれから、すとんと降ろして差し上げたのが…白狼の背中の上。踏む訳にも行かないからと。あわわとその背中を跨ぐ格好になったところへ、
「こっからは独りで、先へ進んでくれないか、公主様。」
え?と、呆気に取られたセナだったのは、何を言い出した葉柱なのかが判らなかったから。狼の姿をしたカメちゃんも、そんなセナと同じように、肩越しという方向へ元の主人を見上げていたが、
「任せたぞ?」
低く囁かれながら大きな手のひらで頭を撫でられると、人懐っこい飼い犬のように眸を細め、気持ちよさそうにそれを受け止め。それから、
「…あっ。」
セナを跨がらせたまま、その姿が一回りほど大きな生き物へと変わる。毛並みの色は変わらぬ白だが、首回りに掴まりやすいよう毛並みが増したその姿は、雄々しくも気高い純白の獅子であり。
「ほほぉ。そやつ、もしかして聖獣であったか。」
「まあな。」
感心はしたらしかったが、さほど驚いてもない相手が訊いたのへ、こちらものどかに応じてやった葉柱が、
「自分で言うのもなんだが、俺よりよっぽど頼りになる奴なんでね。」
不敵な笑みを口元に浮かべたままにて、そんな彼がぱちりと指先を弾いて鳴らせば。その利き手へと導師服の袖からすべり出して来たのは、一振りの長い太刀。自在に動き回ってたその前腕には到底収まりようのない長さだったから、蛭魔の守り刀と同様に、元は短剣サイズであったものを、引っ張り出しながら解封してショートソードにしたらしく。ここまでは咒の攻撃ばかりを繰り出して来た彼だが、
「実はこっちのほうが、俺には得手でね。」
視線は対手の目許に釘付けにしたままだったが、声はセナへと掛けたもの。
「こいつ、結構な使い手らしいから。お前様を庇ってという戦い方はちょっと難しいのだ。それよりも、一刻も早く進の野郎へ追いつけ。」
「でも…。」
意外な展開へ、言葉を返しかけたセナへ。やはり一瞥もやらぬまま、
「いいから言う通りにしな。」
今度は少々強い語調で言い放ち、
「一刻を争うって場合なのは判っていよう。それとも…お前様独りでは、到底 進を引き留められねぇか?」
「…っ。」
セナが何とも答えぬうちから、今度は白獅子と変化した聖鳥さんが、その姿勢をやや低くし、その頼もしい四肢にバネを溜める。葉柱の手には、鞘から すらりと抜き放たれた長剣が姿を見せており。乏しい明かりをそこへと集めて、濡れたような光をおびた刃が、ちゃりっとひるがえった次の瞬間、風を切る音と共に姿をくらまし、
「行けっ!」
背中を押すように勢いよく掛けられた声に、白獅子が地を蹴って飛び出す。そんな彼らの眼前へ、ぶんっと振られたは黒塗りの長い棒。そのまま咬み砕いてでも突っ切ろうと、駆け足を止めることのないまま牙を剥いた獅子の鼻先で、真っ直ぐ伸びてた筈の棒の先が…あり得ない角度で項垂れて。次にはその先がくるんと宙を切って持ち上がると、獅子の背の上にいたセナへと繰り出されて来た。その切っ先の変わり身の素早さに、
「…っ!」
避けることも適わず叩きのめされるかと、思わずのこと、ぎゅうっと目を瞑ったセナだったが、
“………え?”
そんな自分のすぐ傍らを何かが通過した。強いて言うなら、後ろからの風がひゅんっと、体の側線を撫でるようにして追い抜いていったような感覚があり、頭のすぐそばで“ガツン”という鈍い音がして。ハッとした反射で見開いた眸の先では、自分を襲った棒の先が、銀色の刃にてねじ伏せられるように押し戻されているところ。
「そのまま進めっ!」
正に血路をこじ開けてくれたその切っ先は、葉柱がしゃにむに踏み出しながら伸ばしてくれた剣の先で。
「チッ!」
舌打ちをした相手がそれでも連綿とした攻め手の続きか、更なる襲撃を逆側からも繰り出しかけたが、それへは、
「おっと。」
こちらも剣を手の中にて持ち替える葉柱であり。逆手に持ち替えるその所作の中、くるりと宙で回した柄が、飛び出しかけてた逆の棍の先を、一閃にてあらぬ方へと弾き飛ばしての防御を敢行。相手の武器とその動きの特性をよくよく見知り、使い手の思惑を把握していればこその素早い対応という、先制攻撃をことごとく封じた完全防御に守られて、身を縮めたセナがしがみついたまま、純白の獅子は彼らの傍らをやり過ごすと、さらに奥へと駆け抜けてゆく。
「………貴様。」
その背中を見送る位置になってしまっては、もはやあの四肢獣に後からは追いつけまい。その一瞬だけを刳り貫くために、何ならその身を楯にしたっていいとの覚悟で。自分には何の防御もしないまま、捨て身で腕を伸ばし切り、剣をふるった葉柱だったらしくって。
「ここで守り切れなきゃ、カッコつけた面目が立たないだろ?」
ふふんと強かに笑って見せたその鼻先へ、先程真下へと叩き伏せた、棍の切っ先が突き付けられる。
「三節根だろ? こんなややこしいものをホントに使いこなす奴がいるとはな。」
東の大陸から来た体術武道に於ける、これでも正式な武器。3つの棒の端と端とが鎖で連なっているものを、引き絞って長い棒にしたり、鎖のところで緩めて間合いの短い棍にしたり、振って遠心力をつけることで強力な打撃効果のある飛び道具にしたりが出来。扱いが高度に難しい分、変幻自在な点で相手を翻弄しつつ、高い攻撃と防御とを発揮出来る、達人向けの武装だとか。そんな複雑特殊なものを、この正念場に自分の武力アップのためにと選ぶような曲者(くせもの)さんへ、
「あのチビさんを追いたきゃ追いな。
そのまま俺も、あんたの背中を追うけどな。」
不敵な笑みを揺るがしもせず、堂々と言い切って見せた、アケメネイの導師様だった。
◇
体術の方が得手だとはいえ、咒の方とて生半可ではないレベルのそれを、しかも詠唱なしにて繰り出す使い手なだけに、阿含とやらと対峙中の蛭魔も桜庭も、きっちりと蹴倒せない相手へ手をこまねいていた。
「呀っ!」
膝までの長さのある上着をばさばさと風が叩く。それほどまでに、素早くも切れのある所作にて、蛭魔が繰り出す剣の薙ぎ払いが襲い、眼前からは退かせられても。相手の動作の描く“弧”は必ず、元いたところへその存在を戻しており。しかも、そのお戻りに対するこっちは、腕やら胴やらが伸び切っている無防備さを晒していたりもするので、大急ぎで態勢を戻すので精一杯。はたまた、
「吽っ。」
桜庭が隙を衝いての咒の気弾を、途切れることなく打ち込んでみても、分散型の念咒へは…ともすれば一瞥だけにての弾き飛ばしをこなせる相手なだけに、集中の拡散という効果すら与えられず。結句、そこから先へと進めないままの、実りの無さげな押し合いが延々と続いている。
“こいつの側は時間稼ぎで十分なんだから、これじゃあこっちの断然不利ってもんだ。”
セナや葉柱を先行させたものの、それは自分たちもすぐにも追いつけると見越してのこと。たった二人で、しかも片やは戦闘初心者では、まだまだ奥にも伏兵が控えていようこの地下を、きっちり制覇し順調に進軍中…とも思えなくて。
「…チッ。」
何度目かの剣の咬ませ合いの末、こちらの短刀が弾かれてしまい、宙へと飛んで床の敷石の上をすべってゆく。
「妖一っ!」
素手空手となった相棒を庇うべく、強いめの咒による弾幕を張った桜庭で。眸には見えぬが当たれば衝撃が弾ける、そんな気弾の一斉射撃。一連の攻勢が止まった途端にこっちに隙が出来ることも承知の上での連射弾幕は、1つ1つを弾くのが面倒になったらしい阿含の、
「哈っ!」
気合い一喝、全身からほとびた威容の勢いにて、一瞬にして相殺されてしまい。
「な…。」
ここまでの咒をやはり詠唱しないまま操れるとはと、さしもの桜庭でさえ息を引いた実力差であったものの、
「…っ! 妖一っ!」
そんな一瞬の隙を衝き、足元の守護剣を拾い上げようと、素早い身ごなしで屈んだその刹那を薙ぎ払おうとしてのもの。視線も伸ばされた腕も剣へと向いていて、無防備になってた金髪を目がけ、高々と振り上げられたサイの切っ先が風を切って落ちて来た。自分が飛び込んでも間に合わないと、思った桜庭が自分の小指から小さなリングを外しかかったそのタイミング、
「ぐあっっ!」
思いも拠らない声が先んじて上がり、えっ?と見やったその先で、
「…妖一。」
まるで一か八かに賭けたかのような。視線の先に転がってしまった武器へと決死の思いで飛び掛かり、拾い上げようとしているかに見えた所作は、だが。実は…無防備な状態に見せていた後背へこそ、きっちり集中をセットしてあった“フェイク”であったらしくって。深く倒されようとしていた上体と連動し、身を低くするべく折り込まれただけに見えた脚が。そこへと溜めたバネを一気に解放する。踏み込まれていた側は地を蹴り、もう片方は体の芯から弧を描くようにぶんっと回され、途轍もなくハイスピードの後ろ向きの二段蹴りとして炸裂する。振り向きざまに高々と伸ばされた、まずは一撃目の踵がサイの柄を強靭な蹴撃にて薙ぎ払い、体を反転させつつの次の蹴りが…攻防一体だった相手の攻撃を退けて無防備にした懐ろへと鮮やかに切れ込んで。こんな思いがけないフェイクにさえ、素晴らしい反射を見せ、体を後ろへ引こうとしていた相手の顎へと何とかぎりぎり当たった足の先。そんな好機を逃してなるかと、攻撃のベクトルをやや強引にも全部乗っけての一蹴が、相手へ声を上げさせたほどにがっつり決まった…という次第。どんなに躍りかかろうがそれは巧みに躱して弾いて、頑健な一枚板より始末の悪い防壁として立ち塞がってた炎眼の男が、初めて膝を屈して頽れたのを見やり、
「来いっ!」
ただの一言をかけただけで、そのまま駆け出した蛭魔を追って、
「ああ。」
桜庭も素早く駆け抜ける。
“顎への打撃は、一番効果的だからね。”
じわじわと効いて立ち上がれなくする打撃を与えたいなら、骨という鎧もないがため、鍛えてないほど防御も薄い腹部へのブローだが、とりあえず戦意を削ぎたいなら顔への攻撃が効果的。何と言っても急所の塊りだし、だからこその頑丈な頭蓋骨があり、防御反射も鋭いが、顎への一撃はこめかみと直結しているだけに、どんなに首を鍛えて固めていようと頭の芯に直接響くため、精神的にも効果は絶大。それはそれは手古摺った達人の傍らを、やっと何とか擦り抜けることに成功した二人は、一顧もせぬまま前へ前へと駆け続ける。結構な時間潰しをされたから、セナや葉柱の気配は微塵も感じられなくて。
「この先にも伏兵はいたろうからな。雑魚ばかりかも知れないが、あの二人ではかなりロスってるに違いない。」
さっさと頭を切り替え、とっくに前方のことへと思考が飛んでる蛭魔の言いようへ、桜庭もまた小さく頷いた。
「葉柱くんも、育ちのいい分だけ人がいいからね。」
相手のことを思いやってる場合じゃないのは判っていようが、というよりも…一緒にいるセナが怖がらないかと気遣って、穏当な手立てをばかり選んでいる恐れは十分にあると。…何だか、少し前に彼らが下した、黒魔導師様への酷評の意趣返しみたいな言われようですが、それはともかく。
「………っ!」
後ろはもはや意識から切り捨てた筈の二人が立ち止まったのは、すぐ真下から届いた不穏な気配に呼応して、ついつい歩調が緩んだのとほぼ同時、
「呀っ!」
背後からの気合い一喝が轟いたから。あれほどまでの完璧さで“引き留め戦術”を続けていたドレッド頭の彼が、だが。そちらさんもまた、もはやこちらへの意識はないものと見える、別な方向への集中を固めているのがありありと判り。裂帛の気合いにて高められし気魄が、頭上へと掲げられた拳へ集中しているのが、間近な炎の輻射熱みたいにこちらへも届くほど。
「…なんて奴だよ。」
咒への念じではない気配が、こうまで物理的な熱や力を発揮するなんて。少なくとも蛭魔の方は、20年有るか無きかの人生の中のこれまでに、一度も見たことがない現象であり。そんな道士がその集中を込めた拳を、どんっと叩きつけたのが。
「な…っ!」
何と足元の岩盤へだ。聖域だから咒での移動は効かない。それでと構えた、文字通りの力技らしく。腰を入れて構えたそのまま、大きく開いた自分の脚の間の足元へと、力強い拳を叩きつけるところが…場合が場合ながら何とも様になっている。瓦のない瓦割りのようなそんな大技を、唖然として眺めやっていた桜庭へ、
「…チビが突破したからだ。」
「え?」
傍らから蛭魔がそうと呟く。
「奴が頼みにしていた最終関門をセナが突破したから、そこへと一気に加勢に行くつもりなんだろうさ。」
彼もまた、足元の敷石のそのまた下の気配を、居ながらにして読んでいるらしく。
「古いから堅いが、厚さはさほどないからだろうな。」
そこまで見通せている彼が鋭い眼差しをついと上げ、
「よし、俺らも続くぞ。」
「え? あ、妖一…?」
続くってどういうことさと訊きながら。踵を返しての逆方向、そこ越えるのに難儀した方へと立ち戻る背中を追えば。ぶんっと音がしそうなほどもの勢いで、背後へと引かれた肘が見え、
“あ…まさか。”
ダメだダメだと慌てて駆け寄る。いくら咒での通過や跳躍が不可能な窟だからって、こっちの筋骨逞しい彼と同じような“力技”を繰り出せるような、頑丈な体をした蛭魔ではない。大きな咒を制御出来るまでの、それなりの鍛練を積んでいたって、それこそその咒力を吸収しかねぬ特殊な岩盤が相手、限度があろうというもので。背後から飛びつくように腕をつかめば、苛立たしげな鋭い視線が飛んで来たが、こればっかりは譲れない。…と、そこへ、
「あ、阿含さんはいますか…っ。」
更に向こう。進んで来た側の方から、彼らには覚えのない、若い男の声がした。男というより少年という年頃だろう、幼さの色濃く残る声であり、何だか息も絶え絶えという感がする。そんな精一杯の声ながら、それでも…岩盤への第二撃を敢行しかかっていた阿含とやらにも何とか届いたか。振り上げ掛けていた腕を降ろすと、自分の肩の向こうを見やった彼が、
「一休?」
ハッとしたのがありあり判る、それが素なのだろう深みのあるいい声での呼びかけをする。それを聞いて安堵したのか、声を掛けて来た少年がその場に力尽きて頽れた気配がしたので、
「一休っ、どうした。」
身を起こし、自分から歩み寄った阿含の頭には、もはや蛭魔や桜庭の存在は無いも同然であるらしく。ここからでは闇の中になってしまう辺りへ屈み込み、そこにいた誰ぞを腕の中へと掬い上げた模様。完全に無防備な背中を向けられ、こちらの二人が何が何だかと顔を見合わせた、そんな中、
「ゴ、クウさんが、陽雨国から、戻っ、て、来ました。」
少年は今にも絶えそうな声で…それでも知らせねばならぬことがあるのか、時折たわむ言葉を懸命に紡ぎ続ける。
「僧正様の、正体を知る…人に逢って、確かめられ、た。だか、ら。太守を、降臨させ、てはなりませんと。そんなゴクウさんを、僧正さ、まは、斬って捨てたのです。」
「な…っ!!」
話のところどころが見えない蛭魔らだったが、それは恐らく…彼らには天地が引っ繰り返るほどもの重大事であるのだろう。
“太守を降臨させるなと言ってるくらいだからな。”
それをこそ目指していた彼らだってのに、何でこんな展開になっているのやら。場の空気の重さに、こちらも呑まれるように立ち尽くしていた導師二人であったのだが、そんな彼らを振り返ると、
「虫のいい話かもしれないが。この子を此処で見ててやってはくれまいか。」
さっきの何倍も真摯な顔をした青年が、その腕の中にてとうとう意識を失ったらしい少年を彼らへ託そうというような言いようをする。
「…どういうこった?」
雲行きの変化に気づきながら、それでもと敢えて訊ねる蛭魔へ向けて、
「あんたらを精一杯足止めしといて言ったところで、信じてもらえぬことだろうが。」
今度は欠片ほどにも笑わぬまま、彼は毅然と言い切った。
「俺はこれから、同胞たちを叩き伏せにゆかねばならぬから。」
その双眸に宿りし赤光が、周囲の昏さを圧倒するほどもの炎のように息づき、力を増したように見えた蛭魔であった。
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*さあさ、ここからが問題でして。
急展開を見せる何ごとか、まだ小理屈が潜んでいたという、
ほんにややこしい設定だったりするのでございます。
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